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北スラウェシに残る太平洋戦争時代の防空壕

Bungker tertinggal di Tondano, Sulawesi Utara

長崎節夫
Nagasaki Setsuo

北スラウェシ地方はご存知のとおり、北方のミンダナオ島ダバオ方面から連続する火山地帯です。 そのために凝灰岩の地層(火山灰が堆積して固まった地層)が多く、防空壕はすべて凝灰岩地層を掘削して作られています。 地質の専門的なことは分かりませんが、この辺の凝灰岩層は強度的に防空壕(または地下室でも)を掘るのにちょうどいい地層です。 つるはし等を使えば人間の手で簡単に掘れて、強度も適当にあるので崩壊しない。 道路脇に露出している凝灰岩地層に適当なサイズの横穴を掘れば、セメントや木材も要りません。 工兵隊の指揮官になったつもりでメナド市内やミナハサ高地を見渡せば防空壕の適地だらけです。 日本軍は防空壕を掘るためにメナド攻略を企画したわけではないと思いますが、掘らされた兵隊さんたちは「我々は穴を掘るためにここまで来たか」と思ったかも。

防空壕跡はトンダノ湖周辺に数か所ありますが、ここにご紹介する写真の場所が最大規模のようです。中に入ったことがないのでよくわかりませんが、約1万人収容の規模と聞いたことがあります。



北スラウェシ州政府は観光資源として考えたことがあるようで、一部の壕入り口に扉や看板を作りかけていますが、完成しないまま放置されて、コウモリの棲み処になっています。














落下傘降下の地は一面の田んぼです。田んぼの中をカカス街道だ通っており、その街道脇が飛行場であった、ということです。トンダノ湖の西端がすぐ近くに見えました。





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