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ー北スラウェシにおける日本人の足跡ー
北スラウェシ日本人会
日本国沖縄県有志
碑文 翁長雄志 那覇市長
鵬程万里について:
今回の運動の幹事をしている長崎さんの話では通常祝辞的な意味に用いられるもので慰霊碑には相応しくない感じもしますが、 私としてはこの慰霊碑は単に慰霊のためだけではなく、沖縄漁民の活躍と功績を讃えた「顕彰碑」の意味も持たすべきであると思う。"
との事でした。
2004年6月19日北スラウェシ州ビトン市において、北スラウェシ日本人会主催により、 在マカッサル総領事館の渡辺総領事をお招きし、マナド・ビトン地区日本人墓地整備 運動の一環として日本人墓地・慰霊碑の除幕式が執り行われました。
マナド・ビトン地区には戦前より活動されていた漁業関係者の日本人の墓地が多数点 在しており、70年近い長い年月と供に荒れ果ててしまっている現状がありました。特にビトン地区に在る日本人の墓地はスラム街に飲み込まれつつあり、ごみの山に埋も れ、墓石の頂上部分しか見ることが出来ず、家の中で墓石が家具代わりに使われてい るものもあり、あまりにも凄惨な状況でした。 1997年にこのことに気づいた長崎節夫氏(当運動幹事)を中心に、見るに見かねた人々が有志として集まり、沖縄県民の方々のご支援、在マカッサル総領事館、ビトン市 役所の方々のご賛同により、今回一番荒れていたビトン地域の墓地の移設作業と新しい日本人墓地・慰霊碑(ビトン市内)の建設が進められてきました。
最初の頃は、なすすべもなかったこの運動も、沖縄での募金活動や、日本人会内での
働きかけにより、徐々に人々が支援してくれるようになるにつれ、資金的な問題など にぶつかりながらも、何とか19日の除幕式には、ビトン地区の墓地移設を間に合わせ
ることができました。 今後、土地区画整理で取り壊されてしまう予定の、マナド地区にある墓地現在11名
確認の移設と、新しい墓地の維持管理(現在ビトン地区にあった14名を移設完了)
を北スラウェシ日本人会が中心となり進めていくことが決まると供に、沖縄県民、在 マカッサル総領事館、ビトン市役所の皆様のご協力を頂き、インドネシアに日本の民
間人の足跡が、民間人の手によって保存されていくことになりました。
インドネシア・スラウェシ島(旧セレベス島)北部には、記録によれば1920年代末の蘭領インドネシアの時代より日本の漁業関係企業が進出していました。 その日本企業のうち大岩漁業は、いくつかの企業を取り込みつつ、1939年には従業員 が日本人128人とインドネシア人353人を擁するようになり、ある資料では1930年代後 半にはビトン地区で、人口3千人前後の一大漁村が形成されていたという事が書かれて あり、賑わいを見せていたことが伺われます。 またその内日本人の多くは沖縄の出身者であった事もわかっており、当時の沖縄での カツオ漁法、漁具、鰹節生産技術がこの地域でも根付いている事を現在でも見ることができるので、沖縄の漁業関係者の中には、まさにタイムスリップしたかの様な気分を抱く方もおり、日本人の技術が今もこの地の主要産業として着実に発展しているこ とには、感慨深いものがあります。
太平洋戦争の終戦に伴い、これらの企業は全て無くなりましたが、大岩漁業の社長大 岩勇氏のご子息である大岩富氏(当運動主幹事)は現在もビトン市にてご健在です。
現在ビトン市では、近年漁港・商業港も拡張整備され、水産業を中心とした商業地域 として発展していくことが期待される町であり、その発展の基礎に、戦前の日本人の 技術が中心になっていたと云う事実があることは、日本人として今後のインドネシア での活動について考えさせられるものがあります。 今回の活動は、墓地の凄惨な姿を見かねた人々が運動を起こす端緒となっているもの の、インドネシア各地においても、今後このような民間の日本人の足跡が消えてしま うことの無いよう、歴史を保存し、学び、将来に繋げていく心を忘れず、力になれれ ばと思います。
もし、関係者等でより詳しいことをご存知の方がいらっしゃいましたら、御連絡頂ければ幸いです。また、各地域で同じような状況があるようでしたら、是非教えてくだ さい。 以上
追記(2004年9月)
同墓地の敷地面積、約400平米、市内から車で約15分。山道をやや登りますが、周囲は農地で、墓地の前にはキリスト教会があります。近くには長く在住している日本人の私邸があり、管理されています。市内主要ホテルで聞けば場所は教えてくれます。
なお、ビトン市には、この他、ミネンボネンボの丘には、立派な旧海軍慰霊碑(昭和17年1月の日本軍最初の落下傘作戦マナド航空基地攻撃の堀内豊秋海軍大佐ほか、南太平洋戦域において戦死した陸海軍将兵を弔う関連戦友会が98年10月に建立)があるので、ビトン市は、北スラウェシ地域での日本人墓地、慰霊碑所在地として今後広く知られていくものと思われます。
(マカッサル総領事 渡邉 様より)
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