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南スラウェシ文化・芸術センター

Gedung Kesenian SULSEL
Societeit de Harmonie

- 蘭領時代にはオランダクラブ、日本軍政時代には三笠会館と呼ばれた -
Jl. Riburane NO. 15, Kelurahan Pattunuang, Kecamatan Wajo, Makassar



正面玄関(粟竹章二氏撮影)



1896年に建設された歴史的建造物--写真提供 Mr.Rusly Dhanio (Makassar)

オランダ統治時代

オランダ統治時代の1896年に建設された19世紀のルネッサンスまたはギリシャ様式の歴史的な建造物。場所はロッテルダム城址の外側、道路を一本隔てた北側に位置する。Societeit はクラブやパブの意味、当時オランダ・クラブと呼ばれていたようだ。各種公演のほか、オランダ人知事、市長や軍幹部の集会所、パーティ会場として使われていた。下の2枚の写真は1930年(昭和5年)、ヴィルヘルミナ(Wilhelmina)オランダ女王の皇位40年を祝い、電飾されたオランダ・クラブ。



電飾されたオランダ・クラブ
写真提供:土井正治氏



同クラブのウインドウの様子
写真提供:土井正治氏

日本軍政の時代

日本軍政の時代(1942-1945)には「三笠会館」と改称され、邦人および現地住民向けの文化活動に使われている。当時民政部に勤務した粟竹氏によると、演芸会、藤山一郎氏の歌謡指導、従軍慰問団の公演、映画、演説など沢山思い出があるそうです。映画「アニメ白雪姫」(1937年制作)は昭和19年(1944年)4月に公開上映されました。音声は英語でインドネシア語の字幕がついていましたが、その色彩の綺麗さに驚いたそうです。また同じ時期に「風と共に去りぬ」(1939年12月制作)は一般公開はされませんでしたが、部内関係者の一人として見ることが出来たそうです。しかし、なぜマカッサルにそのフイルムが有ったのかはわかりません。おそらくフイルムは蘭印時代にマカッサルに配給され、その後、戦争がはじまり、お蔵入りしていたのでしょうか。(追記2009-9-7)

当時のセレベス新聞(昭和19年8月27日付)に次のような記事があった。

民政部職員の「和楽大会」 三十一日夕開催

邦人職員の和合親睦と士気高揚をはかるため民政部でが来る三十一日夕刻マカッサルの三笠会館で和楽大会を催す。これは各課で代表を選出し一課の持ち時間10分程度に限り種目は寸劇、漫才、手品、歌、踊りなんでも慰安となるものとなっている。

インドネシア独立後

インドネシア独立後、この建物は公演や一般の事務所として使われてきたが、1998年、地元の文化人が南スラウェシ州政府に対して、この歴史的な建造物の修復を行い、ふたたび文化の拠点として整備するよう働きかけを行った。1999年に工事が着工され、2001年以降、この歴史的な建造物は「南スラウェシ文化・芸術センター、 ソシエテート・デ・ハーモニー」と呼ばれている。

 2008年1月、日本インドネシア友好年(国交樹立50周年)事業の一環として、このセンターで津軽三味線公演が開催された。著名な津軽三味線演奏家である福居一大(フクイカズヒロ)氏が市民約300人の前で熱演した。マカッサルにはクチャピという三味線によく似た伝統楽器があることもあり、市民に自然に受け入れられたようです。「津軽あいや節」、「津軽じょんがら節」、「秋田荷方節」、「十三の砂山」、「黒田節」他計7曲の中で、お馴染み「津軽じょんがら節」は、観客に大好評で、最後にもう一度演奏されました。(外務省在外公館ニュース 平成20年5月)



2009年7月にこの建物を訪問した際は、大規模な館内の改修工事の最中であった。 左の真は工事中の舞台と観客席の一部(写真撮影:粟竹章二氏)。

 マカッサルでは現在ロサリ海岸の大規模な整備工事が進められている。また、近くに立地するマカッサル市立博物館も改修工事が行われていた。 ロサリ海岸、ロッテルダム城址、南スラウェシ文化・芸術センター、マカッサル市立博物館、カレボシ広場などを含めた地域の大規模な整備によって観光・文化都市マカッサルの魅力が一層高まることが期待されています。

出典

掲載 2009-8-31
追記 2009-9-7
追記 2010-2-1

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