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スラウェシ研究会
韓国の李明博大統領が、今年の8月15日の光復節(独立解放記念日)の式典で「従軍慰安婦 問題について日本政府の責任ある措置を求める」と述べたという。また10月31日の国連人権委員会で、 韓国、中国、北朝鮮が、旧日本軍の従軍慰安婦問題に言及し、「責任を認めて被害者を救済するよう人権 理事会が勧告したにもかかわらず、問題を解決していない」(韓国)などと日本を批判したという。(日経夕 刊2012年11月1日(木)2面記事より)
国連の会議で、何故、このような荒唐無稽な話が出て来るのか。なぜなら、太平洋戦争の時代、「 従軍慰安婦」なる者は存在しなかったし、当時そのような言葉が使われた事実もないからである。明らかな 点は、当時、朝鮮籍の娼婦が占領地に進出していたこと、そして、朝鮮籍の人が経営する慰安所があった ことである。いま何故、「従軍慰安婦」が、日本との取引カードとして使われ、さらに、国連の場にまで持ち 出されるのだろうか。そもそも娼婦を従軍看護婦、従軍記者、従軍画家などと同じステータスで扱うことな ど考えられない。太平洋戦争勃発の時点からすでに70年を越え、太平洋戦争時代を知る人達も少なくなっ てきた。真実を理解するためには、当時の占領地の運営がどのように行われていたのか理解す必要があ る。当時海軍セレベス民生部に勤務した粟竹章二氏の証言や、残された資料をもとに、日本海軍が太平 洋戦争中に占領したスラウェシ島(インドネシア)西南端の都市、マカッサルでの当時の状況について振り 返ってみたい。
太平洋戦争が始まって、2ヶ月後の昭和17年2月9日、日本海軍は数千人の兵力を投入し、スラウ ェシ島(インドネシア)西南端の都市、マカッサルを占領した。直ちに占領地を統治する体制がつくられた。 数千人の軍隊(戦争末期には前線から撤退してきた陸軍を含め2万人に達した)が進駐した。占領地を長 期的に統治・運営するため、食糧・物資を調達するため、商社(三菱商事、三井物産、太平洋貿易、石原 産業、南洋貿易など)、銀行(台湾銀行)、開発拓殖関係(南洋興発、台湾拓殖、南洋拓殖、野村東印度殖 産、麻生鉱業、清水組など)、海運会社(日本郵船、大阪商船、南洋海運、南洋海運、日の丸航運、大和 航運、日東汽船など)、艦船修理、新造(小型木造船)のための造船所(播磨造船所、井関造船、新南興 行、井関造船など)、新聞社(毎日新聞―セレベス新聞、現地向け広報誌プワルタセレベス)、放送局 (MHK)といった占領地の運営に欠かせない基幹産業分野の企業が、海軍からの直接的または間接的な 要請により進出した。セレベス新聞(毎日新聞系)は昭和17年12月8日に創刊され、発行部数は約8000部 であった。この新聞社だけで、延べ100人を越える日本人が編集などの業務に携わっていたという。
宿泊施設・料亭・喫茶店・菓子店・遊戯施設などの業者も相次いでマカッサルへ進出した。ホテル・ 旅館(大和ホテル、富士ホテル)、料亭(浮島、霧島、敷島、大地、高砂、喜可久、大川隊)、居酒屋(なか ゐ)、菓子製造・喫茶・レストラン店(銀座清月堂、二幸、三笠会館など)、映画(日本映画社、南星座)、日 本酒、合成酒製造(林正宗、林兼産業)、ビリヤード場、バー、などである。要するに都市の機能維持に必 要な、ありとあらゆる大、中、小企業が進出している。
マカッサルに海軍病院が開設され、日本赤十字社から大勢の若い看護婦がマカッサルに派遣さ れた。現地住民の教育のため、多くの邦人が海軍教員として派遣された。海軍報道部員(従軍記者とも呼 ばれた 戸川幸夫ほか)、従軍画家(伊東深水ほか)、声楽家(海軍嘱託 藤山一郎ほか)、歌手(森光子 )等がマカッサルにやってきた。いずれも、海軍と契約を交わしての渡航である。終戦の時点で、海軍、陸 軍、民間合わせて約2万2千人の日本人がこの地域に駐在した。(敬称略させて頂きました)
それでは問題の娼婦達はどこで働いていたのか。当時のセレベス新聞関係者が作成したと思わ れる「当時のマカッサル市内図」(下図)がある。この中には問題の慰安所の場所が明記されている。第1、 第2、第3と書かれた場所である。こうした慰安所は、朝鮮籍の人達などにより経営され、娼婦は他島出身 のインドネシア人が多かった。現在とは異なり、公娼制度が存続していた時代である。慰安所は民間業者 によって運営され、海軍民政部が管理監督する立場にあった。民政部は衛生検査や悪質な業者に対する 取締などを行っていた。そのほか、いくつかの料亭には日本人および朝鮮籍の娼婦がいたという。娼婦は 業者が独自のルートで集められ、雇用されていたもので、海軍から給料または手当が支払われていた従 軍看護婦、従軍記者、従軍画家などと同列に扱うことは出来ない。
しかし資料を丹念に調べて行くと“従軍”と取られかねないケースもある。ニューギニア方面の陸 軍部隊は、戦況が悪化し、島伝いに西へ転進した。心の優しい日本人兵士は、孤島に残された娼婦を見 るに見かね、同じ船に乗せ、ジャワ島へ送り届けたという。しかし「日本軍が娼婦を拉致して強制売春させ た」などということは、あり得ない話である。
占領地における慰安婦について、過去に日本国内で出版された書籍の中にも誤った記述がみら れる。「慰安所に働く妓たちは単なる売春婦ではなく、軍属という資格で日本から送り出されていた。(途中 略)、いざとなれば戦闘に参加し、従軍看護婦の手助けをすることなども義務づけられていた」(戸川幸夫 著 「戦場への紙碑」オール出版)。実際はどうだったのか。戦争末期、昭和20年3月ごろ、連合軍のマカッ サル上陸が迫るなか、日赤の看護婦を乗船帰国させた。そのあと、マカッサル残留の民政部の女子事務 員、商社のタイピスト、事務員、ホテル二幸の従業員など、日本人女性を全部集め、臨時看護隊を編成し、 軍属に準ずる資格で病院などに配置した。そのとき,慰安婦は対象から外され、臨時看護婦として任務に つくことは無かったという。
※ 戦時中、マカッサルの海軍民生部の職員として慰安所の管理・監督に関わった匿名希望氏に よると、朝鮮系経営者による売春婦からのあくどい搾取が密告され、民生部が査察に入り、朝鮮系売春婦 から大いに感謝されたこともあったという。
慰安所の実態について、マカッサルの例を紹介したが、インドネシアにおける他の日本軍駐留都 市も、ほぼ同じような状況であった。「従軍慰安婦」などという荒唐無稽、日本人にとって不愉快な話が、一 日も早く払拭されることを願う次第である。
2013年1月5日産経ニュースに下記の記事が出た。
「安倍談話」 国益損なう歴史認識正せ
安倍晋三首相が歴史問題に関する日本政府の立場について、平成7年の「村山談話」に代わる
未来志向の新たな「安倍談話」を発表する方針を打ち出した。「植民地支配と侵略」への「お詫(わ)びの気
持ち」を強調した村山富市首相談話は政府の対中、対韓外交を萎縮させ、度重なる謝罪や非常識な賠償
要求の要因ともなってきた。
謝罪外交を断ち切り、外交を立て直す上で、談話の見直しは不可欠な作業といえる。国家観にもかか
わる正しい歴史認識を明確に示そうとする安倍氏の積極的判断を評価したい。 安倍氏は昨年12月31日
付産経新聞の単独インタビューで、新たな談話を「21世紀にふさわしい未来志向」のものと位置付けた。
国際社会に正確な史実を理解してもらうための努力は極めて重要だ。 村山談話は日本が「過去の一時期
」に国策を誤ったと断罪した。だが、その時期については特定せず、「終戦の日」に唐突に閣議決定するな
ど、内容も手順も問題の多い談話だった。
以上が産経ニュースの主要部である。真っ当な主張であると思う。なぜなら;
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