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マカッサル沖に沈む第11号掃海艇

ー 英霊219名の遺骨は船の解体工事現場に散乱 ー

脇田 清之


解体スクラップの中の遺骨


解体スクラップの中の軍靴らしきもの

旧日本海軍の第11号掃海艇が219名の英霊とともにマカッサル港からわずか3海里の海底に沈んでいることは「セレベスの海底から」で報告した。2005年12月末、サマロナ島からNWー315度、約1、4マイル(約2,22キロ)、水深26mの海底に第11号掃海艇と思われる船の残骸と多数の遺骨があるとの情報が地元民から現地在住の小島和晴氏に寄せられた。

場所は旧日本海軍で記録されている沈没地点とほぼ同じ場所です。この情報は直ちに地元のマカッサル総領事館へ伝えられた。しかし総領事館からは「遺骨収集は厚生労働省の管轄なのでマカッサル総領事館は関知しない。」と言う返事でした。同じ日本人として61年前に国のために尊い命を落し、艦とともに海底に沈み、いま艦は海中で解体されるに及び、219柱の遺骨はいま大変悲惨な状況下にあり、それを知らぬ振りは出来ません。戦友会、遺族会などと相談し、直接東京の厚生労働省の社会・援護局へ通報することとしました。2006年1月中旬のことでした。

 その後厚生労働省からは省内の手続きに必要な水中写真撮影を求められた。マカッサルのセカアシ(CV.Sekah Asih) 社の協力を得て2006年4月2日、海底の状況の写真撮影が行われた。マカッサルのダイビング・スポットの一つであり透明度の高い筈の水域であるが、掃海艇の海中解体工事を行っていて水は濁っていた。(上の写真は証拠写真として撮影した頭蓋骨)



ダイバーからの聴き取りにより小島和晴氏が作成した2006年4月2日時点の第11号掃海艇の状態。 船首、船尾部分、船橋部分が無くなっているが、2年前はほぼ完全な状態であったという。



ダイバーによると2001年に同じ場所に潜水したことがあり、そのときはまだ艦の原型が留められていたが、現在、船体は約45度傾斜し、船尾、船首、船橋の部分は無くなっていて全く艦としての形がないという。遺骨は衣服と共にバラバラで泥と砂にまみれている。(上のスケッチ参照) 61年前に爆撃で破壊された部分、また腐食による減耗も考えられるが、相当な部分は地元民が海底から船体を切り出しスクラップ材として市中で売りさばいているようだ。殆ど毎日2隻の船で8名の作業員が解体工事を行っているが、違法ではなく、警察、海軍から許可を得て正式に認められた工事であると云う。また売上金の一部は警察、海軍に支払われているようだ。

問題は解体工事の際、多量の遺骨が解体工事の障害になっていること。その結果作業員は遺骨を無造作に移動し周辺の砂に埋めたりしている。また機関室に多量の頭蓋骨、骨があるが、作業員は遺骨を搬出し、付近の砂に埋めている。さらには遺骨のうち頭蓋骨は部屋に残され、その他部分を船外に埋めたりしているので、復元、個人の特定などは難しいと思われる。写真撮影を担当したセカアシ(CV.Sekah Asih) 社は

1) このまま船の解体工事が進むと遺骨の破損、流出が進むので早急に工事の中止べきである。
2) 本格的な調査または遺骨の収集は鉄板解体工事が終わらないうちに、出来るだけ早く行う必要がある
と訴えている。

ここまで在マカッサル、在京の造船・海事関係者、旧海軍OB,戦友会、遺族会などのボランティア活動に支えられてきましたが、インドネシア政府との交渉に始るこれからの作業は正式に日本政府に動いて頂く以外に方法はありません。厚生労働省の話では8月中にインドネシア大使館あてに正式に公文書で依頼することになったようです。一日も早く遺骨の回収が行われるとを祈念します。

追記

マカッサルで地元漁民からの聞き取り調査、沈没艦船の位置の測定、地元マカッサル総領事館との折衝、厚生労働省からの依頼による水中写真撮影の業者手配、指揮、東京へ来て厚生労働省への直接の報告など献身的な活動を行ってきた小島和晴氏は2007年7月27日マカッサルにて逝去されました。

2007年11月26日 東京新聞(夕刊) 記事切り抜き (pdf ファイル 177KB)

2007年11月27日 愛媛新聞 記事切り抜き  (pdfファイル 204KB)

掲載日:2006年8月8日
追記1,2,3:2007年11月29日

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