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上の図はピンラン県政府が作成した60年前マリンプンにあった日本人収容キャンプの見取り図である。私の60年前の記憶とは違っていると思うのですが、地元政府が作成したものなので敬意を表してそのまま掲載させて頂く。
この地図で左下がピンラン市街地
(Kota Pinrang) へ行く道、この道をまっすぐに右上に上がっていくとエンレカン (Enrekang) を経由してトラジャに到達する。このルートを経由するとマカッサルからトラジャまで、通常ルートより約1時間短縮できるそうです。図面の中に飛行場跡、飛行機修理工場、要塞などがあるが、これは旧陸軍の施設のあったところで日本人収容所とは関係がない。これらの遺跡は殆ど残っていないが、地元政府関係者によれば、坑道陣地跡
(Benteng Tanah) は間違いなく存在するとのことであった。しかし私が2005年6月に訪問したとき、地元民に草を掻き分け探してもらったが見付けることは出来なかった。
日本人収容キャンプの墓地跡(写真上)
平和記念碑(兼慰霊碑)デザイン案 (上)
この日本人収容キャンプの墓地跡 (写真上左、地図で左中央部の林の中) に日本と地元ピンラン県の友好のシンボルとして平和記念碑(兼慰霊碑)を建てようとの活動が2005年ごろから関係者により進められている。マリンブンの収容所生活を経験した多くの関係者の声に応えて、当時マカッサル総領事の渡邉奉勝氏、このプロジェクトに賛同して平和記念碑設立委員会会長として活躍されたハサヌデイン大学工学部長のサレ・パル(Saleh
Pallu)先生ほか親日派の現地関係者諸氏の間で計画が進められた。渡邉氏の転出後も、インドネシア側で計画が進められ、2006年10月にはデザインが完成した(上右写真)。
このデザインはピンラン知事
も大変お気に入りとのことです。ピンラン県政府は用地を提供し、1日も早く平和記念碑を完成させ、日本人観光客がトラジャへ旅行する際には是非このマリンプンや近隣のスリリ温泉に立ち寄ってほしいと期待を寄せている。
戦後60年という大きな節目を経過して、隣のバリ島でも同様のプロジェクトが順調に進行しているようです。しかし、残念ながらマリンプンのプロジェクトは若干停滞しているようです。インドネシア側が“勝手に”やっているプロジェクトとは云え、日本とインドネシアの友好を願っての慰霊碑建立です。「前任総領事が先導したプロジェクトなので関知しない」という姿勢でなく、もっと暖かく見守って頂きたいと関係者の一人として切望する次第です。
掲載日:2006年1月5日
加筆修正:2006年2月7日
加筆:2007年6月26日
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