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マナドとその周辺

Manado and its environs



海岸のホテル から見た朝のマナド湾風景 (2000 - 3 撮影)

 

 マナド( Manado ) はスラウェシ島の北端、北緯1度30分に位置し北スラウェシ州の首都である。北スラウェシ州は”ココナッツのそよぐ州”(Provinsi Nyiur Melambai)と呼ばれ、世界的なダイビング・スポットとして知られているが、美しい珊瑚礁、2000M 級の火山、タンココ自然保護区の熱帯林、街道の椰子林、高原と湖、ここはインドネシアの中でも最も豊かで美しい街と言える。マナドはキリスト教徒が多く、街道沿いには数多くの教会が見られること、目が大きく色白の美人が多いことでも有名である。

マナドはミナハサ半島の西に面しているのに対し、天然の良港、ビツン港は半島の東側に位置し、漁業の基地、カーゴ・コンテナ・ターミナル、造船所のほか缶詰工場、鰹節工場、ココナッツ工場などがある。マナドとビツンは他のミナハサの 19 地区と一体となった経済圏を構成している。この経済圏の主体はアグリビジネス、漁業関連、鉱業と観光である。海外から企業を誘致するため、Boeing 747 が乗り入れ出来るような空港(Bandar Udara Sam Ratulangi Manado)の拡張が進められてきたが、2001年6月に近代化工事が完成し、乗客はターミナルから可動橋を経由して直接機内に入ることが出来るようになった。(Suara Pembaruan Daily 2003-1-26)。ビツン港のコンテナ埠頭の拡張、マナドービツン間の幹線道路の整備の計画も進められている。(1999-12-23 Jakarta Post)珍しい産業としては高床式の木造プレハブ住宅の会社があった。日本の住宅と較べれば10分の1程度の価格でした。現在マナドービツン間は車で約1時間( 47 km )。

この北スラウェシ産業経済圏の発展にとっての心配材料としては数百人の北マルク諸島からの難民がビツンに収容されていて、難民は増加の一途であることである。もともとインドネシアの中で一番安全な地域と言われているから逃げてきたのだろうがマナドの住民からすれば心配の種である。

この地域で最大のサムラトランギ大学は沖縄、鹿児島、長崎などの大学と交流があり、教授陣のほぼ半数は日本留学経験があるようです。

追記 2003-2-20

マナドの北部に木造の小形客船が発着する港があり近くの島へ行くにはこれらの船を利用することになる。2000年の1月5日に訪れたら丁度帰郷シーズンで賑わっていた。(右 写真 全部木造の船です。)

以前、マカッサルからマナドへ行く飛行機内でマナドの別荘へ出掛けるオランダ人出会ったことがある。今回たまたま私も日本人駐在員の某氏の別荘に招待されました。熱帯ではあるが、市内から30分の距離にある高原の町、トモホンは標高 500 M以上あり、住宅の冷房設備は必要ない涼しさでした。現在マナドに在住の日本人は水産加工や真珠の養殖で活躍されておられる方を含め約40名。

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