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脇田 清之
17世紀の時代、マカッサルは東南アジアの8つの貿易港の一つとして栄えました。マカッサルはスパイスの取引の中心としても知られ、市内にはポルトガル、デンマーク、英国、パキスタン、アラブ諸国、スペイン、中国などの外国人居留地や商業代表事務所が置かれた国際都市でした。
それより前の16世紀の時代、すでに南スラウェシの船が現在のマレーシアのマラッカまで航海していたことが欧州の記録に残されています。また19世紀の初頭、マラッカに到来する船の中でブギスの武装帆船が圧倒的に多かったことが当時マラッカにいたトーマス・スタンフォード・ラッフルズ(1781-1826)の記録に残されています。さらに1830年代にはそれぞれ30人くらいのブギス人、マカッサル人商人を乗せた200隻以上の帆船が毎年、南西モンスーンにのって7-10月頃、シンガポールに到着し、11月、北東モンスーンの始まりとともにボルネオ、セレベスへと帰って行った記録も残されています。
またマレーのサルタンの何人かはブギス・マカッサル出身者の末裔であり、現在においてもマレーシアには数世紀にわたって定住しているブギス・マカッサル人のグループがあります。またアフリカ東海のマダガスカルの言語はスラウェシの言語と同じオーストロネシア語に属し、例えば数字の1から10まで、マダガスカル語とインドネシア語はよく似ています。マダガスカルへ行ってインドネシア語で会話が成立したなどの体験談はよく聞く話です。 古くから南スラウェシのブギス・マカッサル族の人達は自分たちの手で造った船で海を越え、現在のインドネシアの島々から遠く中国、フィリッピン、台湾、マレーシア、オーストラリア北岸、さらにインド洋を越えてマダガスカル、喜望峰、アフリカ西海岸まで進出していたことはよく知られています。古くから彼等が乗っていた船は彼等自身で建造したパジャラ(pajalas) 型の船で、その後パジャラ型の船に欧州の帆装装置を取り入れた大型ピニシ(pinisi) やバゴ(bago) 、ランブといった船に進化していきます。
勿論、ブギス・マカッサル人には農民もいるし漁民もいるが、海洋民族“パソンペ”(pasompe)と言われる人達は、島嶼間の交易を担う商人であり、また船乗りでもあった。彼等は大体5月から10月の乾期には東風に乗って西に航海し、11月から4月の雨期には西風を利用して故郷へ帰る。先祖代々受け継がれてきた暦や海洋、気象の知識などを含む航海術を駆使して、数ヶ月にわたって東南アジア海域、さらにはインド洋海域を航海して、船員であり商人でもある彼等は、商取引の成果物とともにスラウェシへ帰ってくる。彼等は自分たちが使う船の建造技術も先祖代々受け継がれ、また技術も時代の変化とともに進化している。 1年の内の大半を異境の地で暮らす生活のため彼等は“出稼ぎ人”(Perantau)と呼ばれていた。しかしオランダの東印度会社が貿易の支配力を強めると、彼等の勢いは次第に衰えていく。第二次世界大戦の時代には、島嶼間を行き来する彼等の船は戦禍によって失われていった。大戦後国際情勢は大きく変化する。東南アジア諸国が相次いで独立、これまで自分たちの庭先のように船を走らせていた海上にも国境線が敷かれ、往年のような活動は出来なくなってきた。しかし現在においても、彼等のピニシと呼ばれる木造船はインドネシアの島嶼間の物流に一定の役割を果たしている。また木造船の建造も盛んに行われている。
ブギス・マカッサルの海洋民族のことを、ブギス語で “パソンペ”(pasompe)、マカッサル語で“パソンバラ” (pasombala) と呼ぶが、ここでは“パソンペ”を使わせて頂く。時代の流れの中で“パソンペ”の業務形態も進化が見られる。戦後かつての帆船の時代からエンジンを搭載した機船の時代に入り、彼等の大型木造船“ピニシ”や若干小型の“ランボ“の建造技術も変わってきている。運航の形態も変わってきている。“パソンペ”の業務形態は概略は以下のようなものである。
航海中の安全第一の考え方から乗組員全員の役割が定められている。船長の役割、舵手の役割、船首部の見張りの役割などである。分担は船の構造によっても変わってくる。例えば、船首部、船体中央部、船尾部と場所によって担当を配置することもある。船内を一つの村のように考え、船内の人間関係には村の人間関係が持ち込まれる。
暦の知識としては吉日、凶日は大変に重要な事柄で、カマリア歴が基礎となっている。一ヶ月の中で第1日、第3日、第9日、第19日、29日の夜、最後の水曜日とイスラム教ムハラム月の第1日、この7日は船の起工や出航をしてはならない。こうした厄日を除外した一日の中でもやって良い時間帯、やってはいけない時間帯が、夜明け前、朝、正午、正午過ぎ、午後に分けて決められている。例えば、金曜日の夜明け前、および月曜日の午後に旅行などに出掛けてはいけないとされている。
スラウェシ島周辺の海域では5月から10月にかけて東または東南からのそよ風で好天が続く。一方11月から4月にかけては西風が吹き雨の多い季節になる。ブギスの航海者にとっては、この2つの風向きは大変重要な意味を持つ。航海者は5月から10月の乾期には東風に乗って西に航海し、11月から4月の雨期には西風を利用して故郷へ帰る。
星座の知識による嵐や雨、雷の予測には次のような例が挙げられる。
残念ながら現時点では彼等が使っている星座、星のパターンの名称に対応する英語名、日本語名は分かりません。彼等は昼間、東から西へ移動する太陽の軌跡も参照している。彼等は昼間の太陽よりも夜の星座の方を重要視しているという。午後夕暮れ前に出航し、しばらくの間、陸地の目標地点と星を同時に観測、照合出来る状態で航海し、夜間の航海に備えるという。目標とする星が雲で隠れていても、隠れていない無名の星のパターンで船の針路を判断できるという。最近ではインドネシア政府から磁気コンパスの設置を義務づけられているが、電気をつけなくては読めないコンパスより、暗くても見える星の方が良いとコンパスの評価はいまいちのようだ。
光や音、臭い、予感、で陸地、浅瀬などの危険を予測するための知識には次のようなものがある。
暦について言えば時代の流れとともに、少しずつ変化、合理的になってきているが、現在でも結婚式、建築物や船舶の起工式、田植え始めの日、商売の開始日など暦をもとに決められている。
帆船航海の時代、先祖代々受け継がれてきた暦や海洋、気象の知識などを含む航海術を駆使して、数ヶ月にわたって東南アジア海域を航海して、船員であり商人でもある彼等は、商取引の成果物とともにスラウェシへ帰ってくる。彼等は企業家であり、勇敢に大洋の横断に挑戦する冒険家でもある。航海術だけではない。彼等は自分たちが使う船の建造技術も先祖代々受け継がれ、また技術も時代の変化とともに進化している。
2009年1月10日
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