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国営ラジオ局(RRI)マカッサル支局の歴史

皆 川  明

1942年2月にマカッサルを占領した日本軍は、同年12月にラジオ放送局を開設し、その最初の放送は、数藤鉄臣海軍司政長官による演説でした。

 

写真上:現在もJl. Rajawali No.2に残っているRRIマカッサル支局の旧局舎

当時、スタジオはロサリ海岸で土建業を営んでいたH. Lalaの住宅(Jl. Rajawali No.2)におかれ、MHK(マカッサル放送局)と名付けられました。放送の主な内容は、大東亜戦争に関するプロパガンダで、ラグクロンチョン*・ブギス族**の歌・日本の歌などと交互に流されていました。1944年には、放送する音楽のジャンルを増やすために、ソロやジョグジャカルタから歌手・演奏家を招いたりもしました。日本軍はマカッサル市街の道路などにラジオを設置し、誰もがその放送を聞けるようにしました。なお、このMHKは東インドネシア地域で最初のラジオ局と思われます。

 

日本が敗戦した後、マカッサルは連合軍に占領されました。MHKはすぐに連合部隊の指揮官であったDe Bruinの支配下におかれ、名称もROM (Radio Oemroep Makassar)と変更されました。

 放送局の運営は、RVD (Reegering Voorlightings Dients)と呼ばれるオランダ軍の機関に委ねられ、同機関は、オランダによって提唱された「東インドネシア国」の広報活動も担うようになりました。1947年に放送局の名称はROIO (Radio Oemroep in Overgangtijd)と再度変更され、1950年まで続きました。

 1950年5月にROIOはRRI (Radio Republik Indonesia)になりましたが、時を同じくして、Andi Azisによって導かれた反乱が起こり、RRIは元オランダ軍の傭兵(ex KNIL)によって占拠されました。しかし、同年8月にインドネシア軍によって確保され、RRIは放送を再開しました。(以下省略)

以上 RRIマカッサル支局のパンフレットより
 翻訳:皆 川  明
(JICAシニア海外ボランティア、RRIマカッサル支局配属)
翻訳協力:越膳インドリー(インドネシア語教師)、ADHAR(RRIマカッサル支局)

RRIマカッサル支局について

インドネシア国営ラジオ局(RRI)は、1945年にジャワ島及びスマトラ島の8主要都市に放送局を配置し運用を開始 (本局はジャカルタ)。2005年1月現在、58の支局・関連の送信所を持ち、インドネシアで唯一全国ネットのラジオ局。
 マカッサル支局は前述のような歴史を経て1950年に開局。現在、中波・短波・FMを使って放送、東インドネシア地域で最大の支局となっている。現在の所在地はJl. Riburane No.3。また、マカッサルの郊外(Bonto Sunggu, Kabupaten Gowa)に広大な送信所を持つ。

参考 松浦一男氏のコメント

 昭和十七、八年当時には、各家庭にらラヂオ受信機は無かったと記憶しております。 街の所々に拡声器の付いた塔のようなものが在り、夕方になると、其処から大音声で放送を流しておりました。記憶に残っているのは、日本語の教育番組でした。簡単な日本語をインドネシア語で教えておりました。先生は、当時のマカッサル中学の先生で「Rondonuwu」と仰るメナド人の方でした。何時の間に、日本語が上達したのか知りませんが、会話に不自由はありませんでした。


掲載日:2005-2-7

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