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スラウェシ島は各半島間が急峻な山岳で遮断されていて陸上道路網が脆弱である。半島とは半ば島であるとも言われるが、スラウェシ島は日本の本州の約80%の大きさの島ではあるが、輸送・交通の視点から見ると、無数の孤立した小さな島の集合体とも言える。スラウェシ島の東の広い海域には小さく、殆ど平地の無い小さな島が散在し、海上交通が重要な役割を果たしている。インドネシアの経済中心であるジャワ島との海上交通を見ると、スラウェシ島の各地域は一部マカッサルを経由するものもあるが、大半は直接ジャカルタ、スラバヤと交易を行っている。
中央スラウェシの首都Paluと南スラウェシ州のマカッサルとの間での交易は殆どなく、生活物資はジャワ島のジャカルタ、スラバヤから直接物資が運ばれてくる。また経済的にはPalu地域は、マカッサル海峡を隔てたカリマンタン島東岸とのつながりが大きい。
北スラウェシ州のManado, Bitung も同様にマカッサルとの交易は殆どなく、ジャカルタ、スラバヤから直接物資が運ばれてくるほか同州の北方に位置するTalaud, Sangihe 島、 北マルク州のTernate方面との交易が盛んである。またフィリピンとの交易も多い。
南スラウェシ州の南部のブルクンバの港からは小型船による輸送がフローレス諸島からスラバヤまでの広範囲をカバーしている。フローレス諸島との交易は中間地点のスラヤー島経由の場合と直接の場合がある。
東南スラウェシ州はかって南スラウェシ州の一部であったことからマカッサル経由の交易もあるが、ジャカルタ、スラバヤかも直接物資が運ばれてくるこのほかフローレス諸島との交易も小型の船舶によって行われている。
このように見てみるとスラウェシ島が一つの経済圏としては成立しておらず、各地域が近隣の地域と一体になった経済圏を造っているように見受けられる。
スラウェシ島には伝統的な小型木造船の港が多数あり、南スラウェシ州だけで15港あり、海上交通の重要な役割を担っている。その特徴はa)大型船舶に比べて船舶の運航コストが安い。b)十分な港湾設備がなくても接岸が可能である。c)行動範囲がも広く、荷物の積み替えなしにジャカルタ、スラバヤから東部インドネシア全域まで航海を行う。そのため現時点においても東部インドネシアの海上輸送として最適(?)と言われている。これらの船舶の大部分はジーゼルエンジン搭載の機帆船である。
スラウェシ島の周辺のROROフェリールートではインドネシア国産フェリーのほか、多数の日本の中古船が運航されている。全長50m以下の船型ではインドネシア建造船が多いが、50mを超えると殆どが日本の中古船となる。スラウェシ島内では最大のROROフェリールートBajoe
- Kolaka 間(85海里 下の地図参照)では、民間運航会社数社が日本の中古フェリーのみを運航している。日本の中古船を使う理由は経済的な側面のほか、インドネシアの国産船では性能が低くて運航に不適当と言われている。(下図参照)一方、このルートではここ約2年半の間で3回の大きな日本の中古船の海難事故--
沈没 (KMP. Rahamat Buhari)、座礁 (KMP. Pemata Nusantara)、火災 (KMP.Banten) --が発生している。
(上の写真は1966年建造の元青函丸で現在はJL Ferry 社のBanten号 船齢37年 2001年6月 BajiE 港にて撮影したがその後船内で火災事故を起こしている。)
日本では”赤道無風海域”といったイメージが先行しがちであるが、西風の吹く雨季には海が荒れることが多い。日本の中古船の沈没事例を調べると、荒天により自動車甲板への海水の侵入、自由水による船の傾斜、自動車の移動、機関室への浸水、転覆との経過をとるようだ。(マカッサル市内では
雨季に電柱や大木が風で倒されることは珍しいことではない)。
KMP. Muchlisa(元おんど丸)
Bajoe - Kolaka 航路
右上の地図でBajoe - Kolakaは東京湾横断のイメージであるが85海里もある。前述の通り東部インドネシアの海域は広く、その中に小さな島が散在する。この地域の島は平地が少なく経済活動も少ないから、スラウェシ島を除くと大きなフェリーは必要ない。そこで日本の東京湾や瀬戸内海で使う小型の平水区域用の中古船を買ってきて使うから事故を起こすことになる。一例として1980年に日本で建造された“おんど丸“は日本では平水区域で運航されていた。この船は現在KMP. Muchlisa(上はマカッサルの造船所で引き上げて修理工事中の写真)と改名され、インドネシアの船級協会にはRestricted Ocean Serviceとして登録され、現在、Coasting Service の区分に入るBajoe と Kolakaルートで運航されている。それだけでも問題なのであるが、 更に、客室を上層部に増設したり、2重の船首部の水密構造を1重Ramp Doorのみにするなど安全性を低下させる改造工事をしているケースが多い。(客室の増設は、もともと日本では1時間程度の航海なのでオープンデッキに椅子を並べているが、インドネシアでは長距離になるのでデッキを囲って部屋にしているケースが多い。)
インドネシアの国産ROROフェリー船型は小形の渡河用でROROフェリーの典型的な平底ポンツーン型である。この船型は600 GT 級までスケールアップされているが、海象条件の厳しい中長距離のルートには適していない。
2000年10月にはBitung-Ternate間を運航するASDPのROROフェリーKMP.Goropaで居住区が全焼している。この船はインドネシア製であった。インドネシアの国産ROROフェリーでは、居住区造作材に木材、防熱材として発泡スチロール材を使う、など現在の国際的な防火構造のルールに適合していない。ローカルの船は適合してなくても良いとの解釈のようであるが東部インドネシアのような長距離ルートでは恐ろしい感じがする。
今後、東部インドネシアの一層の経済発展を図るにはジャワ島、カリマンタン島、スラウェシ島間の海上交通、とりわけ陸上交通網とリンクされたROROフェリーによる物流動脈の確立を図ることが重要である。
現在のスラウェシ島―カリマンタン島間、スラウェシ島―北マルク間、スラウェシ島―フローレス島間などのルートでは定期的に運航される貨物船も少ないので一般貨物、コンテナ貨物などにも対応できるROROフェリーの開発が必要である。こうしたルートではトラック、乗用車の輸送の割合が小さいのでRamp Doorは船尾1基のみにしたコンテナを含む貨物兼ROROフェリーの開発が必要である。下はマカッサルのハサヌディン大学造船科のGanding 先生が試設計した1000GTクラスのROROフェリーの図面である。
以上(文責 脇田 2003-1)
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