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Terang Bulan のルーツはシャンソンだった

Melodi Lagu Terang Bulan berasal Perancis

脇田清之 Wakita K.

インドネシアの懐かしい歌、Terang Bulan と、マレーシア国歌 Negaraku、両方のメロディーがよく似ていることは知られているが、どうやら、ルーツは、フランスのシャンソン、La Rosalie (Pierre Jean de Beranger (1780-1857) 作) のようだ。この歌は、かつてフランス本土で流行し、インド洋のセーシェル・マヘ島へ、さらに19世紀末にはマレー諸島へも伝わったという。外務省のデータによると、セーシェルは1756年仏領、1814年英領、1976年に独立している。言語は英語、仏語、クレオール語。

1888年、マレーシア半島にあったペラ(Perak)王国(現在のマレーシア、ペラ州)の国王Sultan Idris が、ビクトリア女王在位50周年式典参列のため訪英した際、イギリス側からどんな曲を演奏したらいいか問われた国王の秘書官が、「国歌がありません」とも言えないので,セーシェルで聞き覚えていたシャンソン La Rosalie をハミングしてイギリス側に教え、この曲が国王の歓迎行事で演奏されたという。のちに国王もこれを了承したという。その後、Raja Ngah Manur bin Raja Abdullah の作詞により、正式にペラ王国の国歌(のちにペラ州歌)"Allah Lanjutkan Usia Sultan" が誕生する。

この曲はのちにシンガポールで公演された Indonesian Bangsawan(オペラ)にも使われ、1920-30年代にかけて、Terang Bulan または Terang Boelan の名前で大流行し、パーティやキャバレーなどでも歌われたという。松田純一郎氏によると、Bangsawan は、緞帳の前で、歌と伴奏で演じる、インド発祥の滑稽な軽演劇で、大掛かりなオペラというより日本の狂言のようなイメージで、ペナンから,マレー半島全域,北スマトラ・リアウ・西カリマンタンのスルタン王国に広がったという。Indonesian Bangsawan は、インドネシア様式の Bangsawan、即ちインドネシア芸人が演じたコミカル歌劇ではないかとのことです。松田氏は、「ペナンとメダンは、つい目と鼻の先、毎日フェリーが往来する近さです。Bangsawan が伝わるのは造作もないこと。ならばシャンソンだけ伝わらないと考える方がおかしい。マラッカ海峡を挟んだマレーとスマトラは,言わば瀬戸内海を挟んだ山陽と四国のような間柄。同一文化圏なのです。」 と言う。

最も古いと言われている Terang Boelan の録音は,Hague krontjong ensemble Eurasia によって,ロンドンのエジソン・ベル・スタジオにおいて,1928年に製作された。Eurasia はライデン、デルフトに留学中のインドネシア人学生による楽団である。クロンチョン・ギターとは、小さなウクレレ型のギターで、ポルトガルの音楽に影響を受けたクロンチョン音楽に使われる。

Krontjong Orchest Eurasia - Terang Boelan (1928)

1937年、蘭印で映画「Toerang Boelan」が制作され、ジャワ島だけでなく、スマトラ、セレベス、さらにマレーやシンガポールでも大ヒットした。この映画の主題歌を歌ったのが、当時20歳であった Miss Roekija で、一躍人気スターとなった。そのときの SP レコードも現存している。この Toerang Boelan は、戦時中、インドネシア、マレーシアに従軍した日本軍の間でも、Bengawan Solo と同様、よく歌われた。銃後の日本内地でも大東亜共栄圏の代表的な歌として演奏されている。 松田純一郎氏によると、映画「Toerang Boelan」は、1950年,1957年にも制作されたが、1957年,即ちマラヤ連邦が独立し"Negaraku"を国歌に制定した年の作品は、スカルノが上映禁止にしたという。

Terang Bulan

Terang bulan terang bulan dikali
Buaya timbul disangkalah mati
Jangan percaya murutlah lelaki
Berani sumpah tapi takut mati

歌詞の一例

粟竹さんが戦後マリンプンの収容所で書き留めたメモ

大東亜戦争中、マカッサルに民政部に勤務した粟竹章二さんが、敗戦後、マリンプンの収容所時代に歌った歌を書き留めたメモが残されている。この中に、Terang Boelan もあった(左上の写真)。マカッサルでもこの歌はたいへん流行していたようだ。因みに、その他メモに記載された曲は、Indonesia Raya, Boengawan Solo, Diwakoetoe Malan, Sapoe Tangan, Pantai Makassar, Moeseteika, Nona jang terjodh, Asemara, Nona Manis, Karah saja mati, Omba poeti が記録されている。(若干読み違いがあるかも知れません。)Pantai Makassar ってどんな歌だったのでしょうか?またまた興味が湧きます。

1957年(昭和32年)8月31日、マラヤ連邦が独立し、国歌を制定する際、400候補作品の中からペラ州歌 "Allah Lanjutkan Usia Sultan" が選ばれ、この曲をもとにして、国歌 Negaraku(わが祖国)が誕生している。そのしわ寄せで、一世を風靡した、懐かしいシャンソン風の Terang Bulan は、自由気軽に歌うことが出来なくなってしまったようだ。松田氏も、「民放連がスカルノに遠慮して要注意歌謡曲に指定してしまい、日本でも事実上の放送禁止となったため、折角の名曲がブンガワンソロ程には広まらなかったのは残念なことです。」という。

この歌のインドネシア、マレーシア間の著作権問題について、2009年9月3日のKompas・Com に次のような記事があった。Terang Bulan はあくまでインドネシア人の作曲であるという説も残っているようだ。
「Terang Bulanの作詞・作 曲者故サイフル・パフリ氏の相続人であるアデン・バフリ氏は9月2日ソロ市で、「スカルノ大統領が1961年か1962年の独立記念日に、父に対しTerang Bulanをマレーシアに譲渡して欲しいと要請したと聞いている、と語った。このスカルノ大統領とサイフル・パフ リ氏の当時の対話の席に居合わせたとされる元ジャカルタ・スタディオ・オーケ ストラのメンバーであったスブロト氏も、この話が事実であったと証言し、「私だけでなく、その席に居たレイムナ副首相 もそれを聞いておられた」と語った。同氏によればこのTerang Bulanの譲渡の話は、1957年8月31日に独立宣言をしたマレーシアに対するスカルノ大統領の親善プレゼントであったと思うとのことである。 」
 この記事について、複数の研究者の方から、スカルノ大統領がTerang Bulanをマレーシアにプレゼントしたとする話は疑わしい、とのご指摘を頂いた。

東京ラグラグ会の庵 浪人氏からは、次のようなご指摘を頂いた。 「Terang Bulan が移入曲である事を証明するためには、元歌の歌詞(この場合仏語)を見つける事で、そうしないと噂、風聞で終わってしまう。ルーツがシャンソンなら、なんとしても仏語歌詞の発掘が必要である。」 この指摘に対しては、 1963年、フランスのマレーシア駐在大使 Pierre Anthonioz が、セーシェル政府に対してシャンソン La Rosalie の歌詞について問い合わせを行い、下記の歌詞を得たという情報があった。

La Rosalie assise par sa fenetre
J’entend la pluie qui verse sur son dos
Son petit coeur qui repose a son aise
Et le mien qui n’a point de repos

シャンソン、それもPierre Jean de Beranger の作であれば、大使は、本国フランスへ問い合わせするべきと思うが、本国での調査は行ったのでしょうか?

庵 浪人氏は「Terang Bulan は、さながらムラユ Pantun 四行詩に沿って作曲されたと思うほど適合している。稚拙なパントンだが、庶民階級のため息で好感がある。だから余計にメロディとの相性が抜群で、とても移入曲とは思えない。」と言う。

 

インターネットの情報の海の中、 “Ma Rosalie” が元歌であると書かれた資料もあり、なんとも心許ない。 “Ma Rosalie”とすれば、Beranger の数百ある、どの曲にもフィットしないという。Pierre Jean de Beranger の歌集は、日本の Amazon 通販でも数種類販売されている。そのうちの1冊を購入してみた。残念ながら La Rosalie も Ma Rosalie も無かった。まだまだ分からないことが多いです。 (文責:脇田)

参考資料

掲載 2012-3-13
追記 2012-3-15
修正 2012-3-18
加筆修正 2012-3-22
加筆修正 2012-3-29
加筆修正 2012-4-10

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