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スラウエシ島の歴史と民族(2)

- 山の民 タナ トラジャ -

庵 浪人(イオリ・ナミオ)

トラジャ族



共和国観光振興策にのって躍り出たのがこのトラジャ族の奇習でしょう。
 山の民トラジャ族は原マレー人種といわれて今でこそ分け隔てはありませんが、麓の人々とは敬う神も生活も趣を異にしてきました。広義のトラジャ族は東群バレエトラジャと西群が焼き畑農を、南麓のサダントラジャが水田耕作で分類されますが、一般には街に近いサダントラジャの約35万人がタナトラジャ県に居住しています。竹を巧みに重ねて、精緻な彫刻を施した舟形の住居(トンコナン)は伝統的民芸的で、反り返った棟は遠い先祖の地に向かっていま船出するかのようです。
 彼等は遠い中国雲貴高地から南下してきたといわれるように、黒い服に菅笠、キンマ(注7)を噛んで口を真っ赤にした姿に初めて会えば異様にうつりますが、1913年からのキリスト教伝導で殆どがクリスチャンに改宗していますが、こと先祖儀礼である葬儀、洗骨儀式は昔通りのしきたりで、その儀礼が観光資源になる変わりようともいえましょう。



エンレカンからサダング河の激流に沿って登りコト、カロシの危なっかしい峠道(注8)を辿るとマカレー、深い谷に掛かる屋根橋にスラマット ダタン タナトラジャ(ようこそ)と書かれていて私たちは千メートルの高原トラジャの国の門に立ったのを知ります。
 いまでは道路も整備され夕方には安着しますしセスナ便も飛んでいますが、70年代初めはまったくの秘境で、街道に沿った崖の中腹に穿った墓穴から、タウタウと呼ばれる木偶の群れが空ろな眼で下界を往来する旅人にこの世のうたかたを告げるようで身震いしたものですが、今は小さいホテルや旅篭が立ち並び、観光客は世界最高といわれる酸味のあるトアルコ・トラジャコーヒー(注9)を賞味し、伝統の赤黒の織り布やトンコナンのミニチュアを買い求めています。

葬儀はそれを開く用意が出来るまで何年でも待ちます。階級社会ですから身分が高ければ数百頭の豚や水牛、太い竹筒の椰子酒とトンバコ(煙草)など供え物は莫大で行列は野の果てまで続きます。供物が不足だと「君は供える水牛は揃ったがそれを曳く綱がないのだろう」と若者が綱を持って走ります。新たに来客用の大きなトラジャ式の家も数棟造り、乙女たちは伝統衣装も煌びやかに舞い歌いながら、ひとり一皿を捧げて来客を饗てなします。男は黒装束に身を固め竹の皮の鉢巻き凛々しく夜を徹しての合唱は星空に共鳴し幽玄の世界に導かれるでしょう。

朝、いちばん小さいコウロギ二匹が棒の上で戦いの火蓋が切られると、鶏から山羊と戦士もだんだん大きくなって、夕方には人間も水牛も戦うことになります。昔は若者も蛮刀をかざしての真剣勝負と聞きましたがいまは剣舞踊りに変わっています。大歓声に送られて名のある巨大な水牛が登場して相手が尻を向けるまで激闘が続 きます。破れた水牛はその場で首を切られ参会者の料理に変わりますから、裏庭は水牛の首と血の海で新参者には強烈です。一週間続いた葬儀が終われば死者は白布に包れ伝来の山の洞穴に葬られるわけです。

トラジャ人はとても小柄ですが聡明勤勉で、近頃は村をでて出稼ぎに行く人が多いといいます。トラジャの都はランテパオですが、ここを起点にして村村をトレッキングするのも高原の涼しさで快適でしょう。マクーラ温泉は戦時中日本軍(注10)が造ったそうです。
山を下ればボネ湾最深部イスラム国ルー県パロポ、街道の先にはマサンバ、ウオトと辺境が続きますが、有数のニッケル鉱山マリリのあるのはその先マタナ(水深600㍍)、トウテイ湖(全島一)岸のソロアコで付近の寒村の黒檀木彫品は民芸品として格調高い逸品といわれます。

 

トラジャ山塊の奥地はどんな処でしょう。

三千米級のカンブノ、バレ山が重なり踏みつけ道に分け入った外国人は多くはありません。トラジャが観光地になったいま、そこは最後の秘境と言えるかもしれません。

 

裏トラジャへの道 ローレリンド自然保護区

山を越えられれば、中部スラウエシ、ベソア、バダ、ナプウのハイランドが横たわっていますが左右から迫る急峻と四方に流れる谷川が方向を見失わせ、車の走れる道はなく、吊り橋を渡り馬の背か徒歩での二日以上のハードな旅が出来れば、ローレリンド自然保護区の純粋なトロピカルレインフォレストとランポ、ラリアン河岸の広い範囲に散在する未知の巨大かつ多数の古代石造遺蹟を見ることが出来るでしょう。(注11)陽根を抱え柔和な笑顔の4メートルもの立像や横たわる婦人像はいずれの宗教の影響もない簡潔な表情ですが、何時誰がこれほどの造形彫刻を残したのか不明です。この他完全な円筒や謎のテラス状石組みなど語り伝えも伝説すら失われてしまっています。

しかし辺境の雨季と雨量は年により大きな変動があり、肝ジストマ、デング熱原虫、時によりムンタベラック(コレラ)の発生もあり、事前の綿密な情報収集が欠かせません。
再び山を越えて反対側に横たわる大きなポソ湖(32000㌶≒厚岸湖)にはネッシーならぬポッシーが住むと噂され、人の胴体程ある鰻が獲れることがあります。ドレインの村テンテナはキリストミッションが作った無憂郷だといわれます。

(注)

  1. キンマはシリともいいキンマ、貝殻の石灰、ガンビルをシリの葉で包み噛む嗜好品、接待品。口中が真っ赤に染まるり興奮作用もある。容器は宝器にもなる。
  2. 山越えの道の遥か彼方の対面する山容はヴァギナに眺められると茶屋が繁盛する。
  3. 疲弊したコーヒープランテーションをキムラコーヒーが苦労して再建した。アラビカ種でカロシ産が最高品だとゆうが、旅人は粉に無造作に熱湯を注ぎ上澄みだけ飲んでいる。
  4. モロタイで破れた日本軍は原隊に復帰する為マナドに集結したが、堺市出身の奥村小隊は、本隊を追ってセレベスを南下して結局結果的に島を縦断しランテパオで原隊に遭遇したが、島中央部の強行移動は飢餓状態で何も記憶になかった。
  5. ローレリンドにはパルー市から100㌔南のジンプ村で馬を借りて入山するか、反対側のポソ湖東からアクセスする。キリスト伝道団のセスナ不定期便MAFもあるが全く予定がたたない。

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