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北スラウェシの日系人メモ(2)・・大城ミレイ

長崎 節夫

ビトゥンに住み着いてかなりの期間、遠出する際は白タクを利用していました。

ある日メナドに行く用があって、いつもの白タクの運転手に電話しました。  「今日は別の客があるから代わりに友達の車をよこす」ということで、やって来たのが大柄で色白の青年J君でした。
メナドへの車中、J君が 「私のオパはジャパンだ」 だというのです。おじいさんの名前はオオシロ ミレイで、かつお釣りの漁師であったこと、お父さんの名前はタケシでもう亡くなった、おじいさんは終戦後オキナワに帰ってから一度手紙が届いたが今は音信不通。たぶん、もう亡くなった。

次の日に、ビトゥンの長老、大岩トミさんを訪ねました。
「昨日大城ミレイの孫だという人に会ったけれど、大岩さんご存知ですか。」
「よく知っている」 ということで話してくれました。

「J君の父親は日系人としてばめずらしいことに軍人であった。それも空挺隊の士官でエリートであったから長生きしていたら出世していただろうに、酒を飲みすぎて早死にしてしまった。」

軍人である大城二世は体が大きく酒も強い豪傑であった。役所にも顔が利くので沖縄系の住民から頼りにされていたらしい。

ほんとに惜しいことでした。しかし、おじいさんの名前を最初に聞いたときから腑に落ちないのが 「ミレイ」 という名前です。妙にしゃれた名前だが漢字でどのように書くのか。
まさかカタカナ名前ということはないだろうし。(この謎はあとで解けました)

出身地が沖縄県糸満ということは分かったので、帰省したおり早速畏友金城力人君と「大城ミレイ」捜しにかかりました。漁業組合がとっかかりになると考えて、糸満漁業協同組合に金城宏組合長を訪ねました。
用件は前もって伝えてあったので、「心当たりがある」ということで年配の組合員Uさんが一緒に待っていました。

Uさんと一緒に糸満市内のある洋装店を訪ねました。店主は大城ミレイが戦後沖縄に引き揚げてきてからの子供らしい。いろいろやり取りする中で、大城ミレイの本名は大城陣十郎であること、(ミレイはあだ名とのこと)、終戦後南方から帰ってきた陣十郎さんは酒癖が悪くて周囲をこまらせたこと、体が大きく力持ちであったことなどがわかりました。
ビトウンのJ君の体つきやお父さんのタケシさんの姿を彷彿させるもので、ほぼ間違いないと思えます。
しかし、突然現れた南洋の兄弟の存在に、店主のOさんはとまどっているようすです。「姉さんや親戚に確認してから」と慎重です。
同行したUさんが「南洋にも親戚がいるとはいいことではないか、めでたいことだ」と言ってその場は終わりました。

後日、Oさんから電話があって金城君と二人で洋装店へ出向きました。「あのあと家族親戚で話し合ったが、陣十郎はインドネシアに行った形跡はない、この話はなかったことにしてくれ。」と不自然な釈明です。
家族親戚の事情もいろいろあることでしょうから、それ以上問い正す必要もないし、「わかりました」でおわりました。

「オオシロミレイ」から数えて三世にあたるJERRY君はエレクトーン演奏の名手で、我が家のノプアやナルコの誕生会には音楽担当でパーティーを盛り上げてもらっています。

* 大城ミレイ(陣十郎?)の子孫は、三世が2名、四世6名、五世2名、合計10名(2011年6月30日現在)

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掲載 2013-10-10

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