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マリンプン と スリリ

Malimpung dan Sulili

高橋 弘行


    マリンプン収容所跡、(高橋撮影)


終戦当時、在南セレベス日本人収容所の本体は、スリリの北方12,3kmに広がるマリンプン砂漠北の一画にあり、陸海軍人と在留邦人の1部、併せて2万人が抑留されたと云われます。この地方の中心ピンランの周辺は一帯が平坦地で、肥沃な米作、椰子園などが拡がっているのに、マリンプン付近だけは何故か緩やかな起伏の多い砂漠状の大平原、貧弱な草が所々生えるだけの不毛の大地、民家らしい民家は全くないところでした。(永江 勝朗氏のセレウェスの思い出(7)より) ここは第1次世界大戦中のジャワ移民およびドイツ軍俘虜がほとんど死に絶えたという曰く付きの「地の果て」なのだそうである。(奥村明著「セレベス戦記」1974年発行、図書出版社) これまで時折旧日本軍の関係者が慰霊に訪れている。ところが、日本人にとって忘れることが出来ないこれらの地は現地市販の地図を調べても詳しい記載がない。そこで2003年10月23日に現地を訪れた際、案内してくれたガイドが描いた簡単な地図をもとに下の図を制作した。(上の写真はマリンプンの日本人収容所のあった場所 撮影:高橋)


収容所の南に有刺鉄線に囲われた300m四方位墓地の跡があった。遺骨はすでに日本へ回収されていて現在は墓標・碑などは残されていない。



  戦時中陸軍が使っていたマリンプン飛行場跡 (高橋撮影)

(2004-2-1掲載)

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