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ミナハサ高地 Minahasa Highlands(1)

長崎 節夫 Nagasak i Setsuo


水上機基地跡(トンダノ湖カカス地区)

エリス村

 

トンダノ湖畔にエリス(Eris)という村がある。そこに知り合いがいて、時々(年に1-2回ほど)訪問し、行くたびにムジャイル(ティラピア)を御馳走になっている。この家の主はトミー・マカレオさんといい、おじいさんが沖縄から来た漁師で、先の大戦前にビトゥンでかつお釣り漁船に乗っていた。

昭和16年に戦争が始まって、負けて、いろいろあって、戦後ビトゥン生まれのトミーさんは1990年代末半ばごろ「日系三世」という立場で日本に渡った。日本でエリス村出身のサッチェさんと知り合い、結婚してインドネシアに帰り、日本で稼いだお金で奥さんの地元エリス村に家を建てた。長男のヒロ君も生まれた。私がトミーさん一家と知り合ったのは2005、6年頃であったから、17,8年前になるだろうか。それ以来、たまに日本からやってくる友人知人の観光はトンダノ湖周辺ドライブを定番メニューにして、トミー家を休憩所がわりに利用している。行く前に連絡をとって昼食を準備してもらう。メニューは決まっていて、トンダノ湖産のムジャイルの揚げ魚、焼き魚、クアアサム(スープ)。これに刺身が付けばムジャイルのフルコースになるが、まだ刺身を造る技術はないと思う。野菜も地元産のカンクン。トンダノ湖周辺はカンクンの産地であり、いつ食べてもおいしい。料理長は奥さん。トミー君は糸満漁師の末裔で体も大きく声もでかいが、日本語はほとんど解せず、口だけ達者で甲斐性はそれほどでもないように見える。奥さんは少し太めであるが色白のミナハサ美人で、日本語もある程度通じるし、料理の腕も一級品である。一般に南の島の住民は、男はぐーたらでおしゃべり、女性が勤勉で家族を支えている。

カカスへ

ごちそうになっておしゃべりも済んだら次の目的地へ。

トンダノ湖岸のせまい幹線道路(これ一本しかない)を西へ走る。道は狭くて曲がりくねっているのでスピードは出せない。対向車がくるとどちらかが道路脇に寄らざるを得ない場所がけっこうある。道路沿いは切れ間なく民家が続く。道の左手(南)は低い山の斜面がせまっており、右手(北方)は湖である。湖面に岸から数十メートル離れてトタン屋根の小屋が散在している。岸辺から小屋まで竹の橋が掛けられている。「橋」と言っても、孟宗竹らしき太くて長いを2本並べて岸辺から小屋まで何十メートルかをつないだだけである。一度、試しに歩いてみたが、足元は極めて不安定、やっとの思いで湖上の小屋までたどり着いた。この竹橋の左右は養殖用の小割イケスで、イケスの中にムジャイル(ティラピア)やコイが泳いでいる。つまり、岸辺から湖の中央に向かって数十メートル(大体50~60メートルか)竹の橋を突き出し、橋の両側に小型の網イケスを配置する。これがムジャイル養殖施設の1セットになる。湖上の小屋は盗人対策の見張り小屋で養殖餌料置き場も兼ねており、どの小屋にも餌袋が置いてあった。餌はすべてスラバヤの製造会社から仕入れたというペレット状餌で、この事業の経費としては餌代の負担が最も重いということであった。養殖事業において餌代の負担が大きいことは日本の魚類養殖事業でも同様である。日本であれインドネシアであれ、餌の問題は魚類養殖事業の成否を決める重要テーマの一つである。

ムジャイルの養殖施設はエリス地区からカカスにかけての湖岸―トンダノ湖岸全周の20%ほどの地域―に集中している。他の地区では絶無ではないが、まばらにしか見られない(グーグルアースでも確認できる)。トミーさんによると、この地域は魚の成長が早く味も良いとのことであった。その根拠はわからない。トンダノ湖のムジャイル養殖については書きたいことがいっぱいあるのでできるだけ早くまとめてみたいと思っている。

トンダノ湖の南西部片隅に小さな入り江があり、昔、オランダ軍が造ったという水上機基地跡がある。日本軍占領後は主に海軍の下駄ばき機(三菱)や飛行艇(川西)が利用したらしい。

水上機基地跡を過ぎて少し進むとカカス集落の西はずれとなり、視界が開ける。目の前に田んぼが広がり、田んぼの向こうにランゴアンの集落が見える。この田んぼの中にオランダ軍の飛行場があった。現在は一面の水田で、ところどころヤシの木が見えるが、昔はココヤシが多く、ヤシ林を切り開いて飛行場を造成したという感じであったらしい。(続く)










落下傘部隊戦死者の慰霊に訪れた旧海軍関係者(カカス村)

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