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ボネ( Bone )はかって勢力を誇ったブギスの王国の一つ、ボネ王国のあった地域で、南スラウェシの半島のボネ湾側に位置する。ボネの中心地が ワタンポネ(Watanpone )でマカッサルからは車で行く場合、(1)マロスで右折し、バンチムルンを経由山越えし、チャンバ(Camba)を経由するルートと、(2)マリノ、シンジャイ(Sinjai)経由のルートがある。東南スラウェシ州の Kendari に行く場合はワタンポネ(Watanpone )の近くのバジョー(BajoE)の港(写真左)からボネ湾を横断するフェリーが出ています。今回(1999年4月2日)は所用でブルクンバ、シンジャイ経由でボネまで走りましたが海沿いの道を走る筈でしたが、どこかで間違えて山の中を走りました。土地の人に聞いたら海沿いの道は舗装が壊れていて走れないから結果オーライだったようです。
バジョエ(BajoE)の港は遠浅のため、土盛りの突堤が数キロ先の沖合いまで伸びていて先端にフェリーの岸壁があります。この港はフェリーと漁船だけで大型貨物船は入ってきません。たまたま停泊中のフェリーは日本の中古船でした。インドネシアでは日本の中古船が至る所で活躍していて、インドネシアの新造船より性能が良いんだそうです。
この突堤を見ているとオランダの南部にあった海の中の国道を思い出しました。地図上では海の上に国道があり、海の上を車で走るんです。またアメリカのマイアミから米国最南端のキーウエストへ行く道も海の中を延々と走ります。でもこの突堤は舗装が壊れてガタガタで時速10キロ位しかスピードが出せません。そこはマイアミやオランダと大きな違いです。暑さだけはマイアミ並です。
町の中心部に等身大の王様の像(写真上)が建っていますが、オランダと手を組んでマカッサル(ウジュンパンダン)を攻めたので、悪名高い王様として評価されているそうです。残念ながら度重なる戦争で当時の様子を偲ばせる建造物は殆どないようですが博物館があり、当時のオランダとの関係を窺わせる資料が展示されています。
町はマカッサル、パレパレに次ぐ規模で人口は80万人程度、交通の要衝でホテルも沢山あります。観光スポットとしては北へ 34 Km のマンプ(Mampu) に大きな 鍾乳洞があります。地図では一級国道の表示ですが行ってみると舗装が壊れていて河原を走るようなガタガタ道で頑張っても2時間近く掛かります。地図もあまり正確でない上、道路標識も少ないので地元の人にガイドを頼んだほうがよいでしょう。途中何カ所かで村人に聞くと、どこで聞いても「あと5Km」の返事で、これは「あと少し」程度の意味のようです。
2001 年6月下旬にワタンポネへ出掛けた。その際、マカッサルからチャンバ経由ワタンポネまで車で4時間以上掛かった。とくにチャンバの道路は最悪、大きな穴だらけでまともに走れない。これが南スラウェシ州の州都マカッサルと東南スラウェシ州州都のクンダリをつなぐ幹線道路である。帰路、ワタンポネからシンジャイ、マリノを経由したが、ワタンポネからシンジャイ間の道路はまともで車でも時速60キロ位で走行できた。しかし、シンジャイーマリノ間は道路は最悪、しかしマリノからシンジャイの間のスケールの大きい棚田の風景は十分満足できた。宣伝しているバリ島の棚田より素晴らしい。
バジョエからボネ湾を渡るフェリーがある。現在7隻あるが、すべて日本の中古船。それも船齢30年以上の船ばかりである。航海時間は7ー8時間、湾内と云っても雨期は時化ることが多く、最近の2年間で1隻沈没
(1999-2) 、1隻座礁(2001-2) 、また時化とは関係ないが1隻が火災事故 (2001-7) を起こしている。日本では平水区域で走っている船がここで使われている。湾といっても東京湾とは比較にならない。片道約120キロと湾の大きさが違う。大波を受けたら簡単に沈没する。また30年も前の船は最近の国際的な安全基準に完全に適合していない。ご注意下さい。
本文中にホテルが沢山あると書きましたが、ホテルのリストには沢山並んでいるのですが、国際的に通用する☆付きのホテルは一軒もない。どこも汚くで設備は壊れ放題。メンテナンスをしないから新築後3年もたつと絨毯は汚れ放題、洗面台その他水廻りも漏水のまま。でも値段はマカッサル並、泊まるならトイレットペーパー、香取線香、タオル、石鹸など一式持参し、何軒か廻って確認してから泊まることをお勧めします。
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